春眠?
最近、物凄く眠い。
ディスプレイを前に、意識を失いかける・・・というレベル。
仕事は暇じゃなく、ぼーっとしているわけでもないのに。
席を立って、少し歩いたりしてもダメ。
こりゃあ、薬物しかナイ!とカフェインを摂取したが、効かないなあ。
むしろ、飲み過ぎて中毒か?という状態になったので控えることにした。
代わりにハーブティーを。ミントね。
・・・てな努力をしていたわけだが、まてよ・・と。
そういえば、鼻炎の薬が変わっていた。
通年で、医者にかかっているのだが、最近処方が変わっていた。
薬の説明を見ると、
「眠気を感じることがあります」と。
・・・感じるっていうレベルじゃないんだけどね。
で、今日はやめてみた。
そしたら、結構改善した。
ううむ。
なんのための薬、求めていたものは、何?
手帳でぐるぐる
手帳、悩ましい。
この数年、フランクリン・プランナーを使っていた。
サイズはポケットにして、少しでも持ち歩けるようにと考えていたが、やっぱり重く。
スケジュール機能に絞り、綴じ手帳にして、ビジネス・オーガナイザー・スリムにしていた。
書き込むスペースがやはり少なく、今年はオーガナイザーに。
そしたら、やっぱり、重いのだ。
フランクリン・プランナーの前に使っていた、システムダイアリーをまた持ちだしてみたり。
いやいや、グーグルカレンダーとToodledoを使っているんだから、とPocket Informantで連携すればスマホで済むかな?
など。
今また、ビジネス・オーガナイザー・スリムを買い足そうかと。
ぐるぐるぐる (@_@;)
2015/03/20
結局、買い足したの巻
やっぱり、仕事用には一週間を俯瞰するのが合ってる。
図書館回遊
図書館によく行く。
ベースは住んでいるところのだが、会社の近くの図書館にも行く。
仕事帰りに寄ると、結構混んでいる。
学生が多いのは当たり前だろうけど、社会人も結構勉強している。
そういう環境は、嫌いではない。
こっちもつられて、まじめになれる(気がする)。
オフィス街なので、ビジネス関連が充実しているのが良い。
ちょっと重めの学術書も、雑誌を一緒に読むと理解が進んだりして。
今日は、地域の図書館へ。
慣れているので、どこにどんなものがあるか(または、無いか)が、ある程度分かっている。
結構、地域としては大きい方なのだが、ちょっと調べようとすると置いてない。そこを、類似の資料を当たりつつ考えていくのがコツかな。
開架式は、ブラウジングがしやすく、助かる。
本屋と同じで、探している本の「横にあった」本が面白かったりして。
借りた本を、喫茶店やファミレスに持ち込んで、さらっと目を通す。
車で行けるから、多めに借りても楽なのも、いいな。
自分はどこにいるか
先日、万年筆のインクを変えた。
黒を使っていたのだが、ブルーブラックにした。
正確に言うと、ブラックをロイヤルブルーに。ペリカンのもの。
色を変えるので、洗浄もした。
コップの水の中で何度も吐き出す。余談だが、ハリー・ポッターの映画を思い出した。
お陰で、インクの出が良くなり、書き味も向上。
さらさら、さらさらと書いている内に、少し哲学的なコトを思った。
自分は、一体、どこに居るか?
なんかの本で読んだ気がするが、何となく、頭のなか、詳しく言うと、ちょっと気持ち悪いかもしれないが、自分の「目」の後ろ辺りに居て、「目のレンズ」を通して外を眺めている・・・ような「気がする」。
それが、
調子よくペンで書いていると、ふと、ペン先に自分が「居る」ような気になる。
更に言うと、今はキーボードを操作しているのだが、なんか、ディスプレイを見ている自分(目の後ろにいる自分)と、指先にも自分の意識を感じるような「気がする」。
ボクは、それほどタイピングが上手ではないので、早くもないし、タイプミスを修正したりすることも多いので、あまり集中できていないと思う。
が、
例えは変かもしれないが、優れたピアニスト(バイオリニストとかでも同じだが)は、演奏している時には、楽器に自分が乗り移った(または、楽器が自分と融合している)気になるのだろうなあ・・・と「思う」。
つまり、我を「忘れている」。
自分の考えを書き表すために書いているということが、まさに我を忘れるという(書く・・・という作業に埋没する?)行為になっていくという矛盾。
これは、また、どんなに早く書いても、自分の思考スピードには追いつかないという制約によるいらだちも生んでいる(ボクの場合ね。すごく早い人はそうじゃないのかも)。
でも、書いたもの、ディスプレイの表示を目で見てそれを自分の脳にインプットすることで思考は「進んでいく」とも思う。
つまり、思考スピードの早さの実感は「気のせい」かもしれない。
・・・ここまで書いて、一旦眺めてみた。
その時、自分は、また、「ここにいる気がする」。
雨と、ボーカル
今日は、雨。
借りてきたCDを聞いている。
優しいボーカル。
少し、寂しい気持ちになるのは なぜかな。
この曲、この人の歌声は、数えきれないほどの人に、数えきれないほど沢山聞かれてきたのだろうけど、今、ボクは初めて聞く。
今日は雨降り。
少し強さを増した雨音。
ボーカルは静かに、この部屋で鳴っている。
紅茶をいれに行こう。
居酒屋と猫
親友は
友達と話したことを思い出す。
高校時代、
男友達と女友達、さらには彼女・・・というふうに友達関係が多様化していった。
小学校、中学校は
まあ、子供だ(今の子はどうだか分からないけど、ボクの頃はね)
高校生になると、
さすがに大人の入り口。そういうことを意識するようになる。
友達と親友の違い
親友は「作るもの」なのか?
友達がいっぱいいる奴と少ない奴、どちらが良い?(幸せか?と言ってもいい)
そして、
こいつはボクの「親友」なんだろうか。
こいつはボクのことをどのように思っているのだろうか。
そんなことを考えていた。
そんな中で、時は過ぎ、大学、就職と。
たまに会うそんな友達がいまどんな関係でいるのか・・・ふと、思ったりした。(相手がどのように思っているかも気になった)
あるとき、多分、飲んでいて、そんなことを話していた。
その時、ボクは映画を紹介した。
ストーリーは、
ベトナム帰還兵が傷つき、理不尽に息子を殺され、自分も片手を失う。
リハビリに耐え、拳銃に弾を込めたりも上手になった。
息子を殺した奴らの消息も追っていた。そして、遂に見つける。
彼は、一緒に帰還した部下を訪ねる。
部下も、帰還したこの平和なアメリカにうまく溶け込めていない。
彼は言う「・・・息子を殺した奴らを見つけた」
部下は、一言「・・・すぐ支度する」
殺人は、犯罪だし、司法に任せるべきだし、勝手な報復は不法だ。
でも、だけど。
ボクは、納得してしまったし。
もし、もしもそういうことになった時に、君にはお願いするかもしれない・・・とその友達に言った。
お互いに、少し強い酒を注文した。
ボクも言ったことの重さを少し持てあましていたし、彼もびっくりしただろう。
彼は言った。
「分かるよ」
それだけでよかった。